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神戸地方裁判所 昭和61年(行ウ)10号 判決 1988年3月24日

原告 上原成介

被告 尼崎労働基準監督署長

代理人 梶山雅信 田中泰彦 野口成一 ほか二名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し、昭和五七年九月二二日付をもつてした労働者災害補償保険法による療養の費用の不支給処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、神崎製紙株式会社(以下「会社」という。)に勤務していた昭和五五年八月一一日午後〇時三〇分ころ、同社神崎工場構内グランドにおいて、会社主催の「中高年令者体力づくりドツジボール大会」(以下「本件競技」という。)に出場しその競技中、相手チームの塩崎俊人の投げたボールが原告の右側頭部及び右耳部分に当たり、右鼓膜穿孔、椎骨動脈血流障害、頭部外傷後遺症、むちうち症候群等の傷害を負い、同傷害により、同日以降、近畿中央病院等において長期にわたる治療を必要とするに至つた。

2  原告は被告に対し、右治療に要した費用につき、労働者災害補償保険法に基づき療養補償給付の支給を請求したところ、被告は昭和五七年九月二二日、右受傷が「業務に起因する行為とは認められない。」との理由により右給付の不支給処分をした(以下「本件処分」という。)ので、原告はこれを不服として、同五七年一〇月二日、兵庫労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、同五八年一〇月三一日棄却され、更に、同五八年一二月二七日労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同六一年二月六日棄却裁決がされた。

3  しかし、右受傷は以下に述べるとおり、業務上の事由によるものであるから、本件処分は違法である。

会社は昭和五一年以来、従業員全員参加をスローガンとして「神崎マン体力づくり計画」の名の下に「健康づくり運動」を強力に推進し、同五五年からは会社の安全健康管理課が事務局となり、各種運動競技会等が開催されてきた。右運動は、業務中の災害防止及び疾病による休業日数の減少をはかることにより労働力の最有効稼働をめざすという労務管理上の目的が主眼で、工場長を総括責任者とし、原告の所属する研究所では所長代理がリーダー、四名の所員がサブリーダーに任命されていた。そして、会社は同五五年度、疾病休業者が中高年令者に多いことから、「健康づくり運動」の一環として四〇才以上の中高年令者全員を対象とする本件競技を企画実施した。なお、対象者は全員参加が原則であつた。

すなわち、本件競技は、会社の労務管理計画の下に全社を挙げて推進してきた「健康づくり運動」の一環として企画実施されてきたものであるから、これに参加することは従業員の業務である。

4  よつて、原告は被告に対し、本件処分の取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1のうち、原告が会社の従業員で、その主張の日時に本件競技に出場して塩崎俊人の投げたボールに当たり、右鼓膜穿孔の傷害を負つたことは認め、その余は知らない。

2  同2は認める。

3  同3は争う。

会社は、従来各グループで個別に適宜就業時間外に行われていた運動競技等を会社として側面から援助するため、「健康づくり運動」の名の下に、各種運動競技等を企画実施するための組織づくりをし、その企画実施をしてきたものである。本件競技も右運動の一環として、中高年令者を対象に企画実施されたものであり、参加希望者をあらかじめ募るなどしたうえ、休憩時間又は所定就業時間終了後を利用して行われ、また、不参加を理由に人事、給与等の処遇上不利益な扱いもされないものであつて、参加を強制されたものではなく、従業員の任意かつ自主的参加により開催されたものであるから、これに参加することは業務に当たらず、原告の受傷は業務上の災害とは認められない。

第三証拠 <略>

理由

一  請求原因1の事実のうち、原告が会社の従業員で、その主張の日時に本件競技に参加し、塩崎俊人の投げたボールに当たり、右鼓膜穿孔の傷害を負つたこと及び同2の事実は、当事者間に争いがない。

そこで、原告の受傷が業務上の災害といえるかどうかについて判断する。

災害について「業務上」と認められるためには、当該災害が業務遂行中に(業務遂行性)、業務に起因して(業務起因性)発生したものであることを要するものであることは、いうまでもない。そして、業務遂行性があるとは、事業主の支配下にあり、かつ、施設管理下にあつて業務に従事している場合に限られるものではないが、事業主が就業時間外において主催する、通常の業務と異なる運動競技会等の行事については、右行事を行うことが事業運営上必要と客観的に認められ、かつ、従業員に対し右行事への参加が強制されている場合にのみ業務遂行性が認められるものと解するのが相当である。

これを本件競技についてみると、<証拠略>を総合すると、次の事実が認められる。

会社は昭和五一年以来、「神崎マン体力づくり運動」を推進し、災害防止及び疾病による休業日数の減少をめざす事と併せて、社内報を通じて従業員に右運動の趣旨を周知させるとともに、「社内体力づくり取り扱い基準」を設けるなどして従業員に参加を促し、全員参加をスローガンに各種運動競技会を企画実施してきた。そして、同五四年に右運動の名称を「健康づくり運動」と変更し、同五五年本社部門に健康管理室、工場に従前の安全衛生管理室を改称して安全健康管理課を設けた。したがつて、同年以来、各種の運動競技会は同課が立案し、各部課長を構成員とするリーダー会とともに計画を立てたうえ、総括責任者である工場長に了解をとり、実施されていた。また、各リーダーの下には補助者としてサブリーダーがおかれていた。なお、費用については会社が負担していた。本件競技もこれにしたがつて、同年六月ごろ会社の神崎工場従業員約一三〇〇名のうち約四四〇名にのぼる四〇才以上の中高年令者の体力維持を目的として、安全健康管理課によつて計画された。その実施については、同課がルール明細を作成し、一ゲーム二〇分で休憩時間又は就業時間終了後に行うこととし、子会社の従業員を含めた約四六〇名の対象者を一チーム一四名の一九チームに編成して同年七月二九日から九月三〇日までの間にリーグ戦で一七一ゲーム行う予定であつた。そして、各部課のサブリーダーを通じて参加者を募る際、安全健康管理課ではサブリーダーに対して、対象者の全員参加をめざして参加の勧誘をするように依頼した。参加者に対しては会社の保健組合の出資で、五〇〇円相当の靴下が参加賞として配布されることになつた。こうして、本件競技は同年七月二九日から実施されたが、一チーム一四名の出場者が集まらないことが多く、一チームの人数を減らしたり、観戦者に参加してもらつたりしてゲームを消化していたが、対象者の関心が盛上らず、出場者の増加もなかつたため、結局予定どおり実施することが困難となつて、同年九月一二日で打ち切りとなつた。最終的に本件競技に参加したのは対象者約四六〇名のうち二六〇名程度であつた。そして、この間、ゲームが就業時間に食い込んだことはなく、また、不参加者にたいして不利益な取り扱いが行われた事実はない。このような事情の下で、原告は同年七月中旬ころサブリーダー小川健二郎から「出られる方は出るように」と参加を呼び掛けられてこれに応じ、本件競技には同年八月一日、四日、一一日の三回参加した。原告の所属する研究所には対象者が二二名いたが、そのうち一回でも出場したのは一三名であり、八月四日には三名しか出場しなかつた。なお、同日の出場者が少なかつたためか、同月一一日には研究所内に参加呼び掛けの放送があつた。

右各事実によれば、会社は従業員の体力の維持及び増進が災害防止及び疾病による休業日数の減少にもつながることから「健康づくり運動」を積極的に推進し、本件競技もその一環として対象者の全員参加を目標にして計画実施されたものであるが、他方、本件競技は就業時間外に行われ、不参加によつて不利益な取り扱いを受けるようなこともなく、また、参加人数、参加呼び掛けの態様及び競技を途中で打ち切らざるをえなかつた状況からみても、対象者に参加を強制したものとはいえない。結局、会社は、従業員の健康に留意することが会社の努力義務でもあり、終局的には会社の事業運営にも役立つことから、本件競技を含む「健康づくり運動」に対象者が参加しやすいよう積極的に側面から援助していたにとどまるものであつて、本件競技への参加は業務には当たらず、原告の受傷について業務遂行性を認めることはできない。そして、他にこの認定を覆すに足る証拠もない。

三  以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中川敏男 東修三 松井千鶴子)

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